はじめに(不定法にて)

芸術学を志したころから、「作家研究」「作品研究」というものが私にはどうしてもしっくりこなかった。それよりも私が興味を持っていたのは、なぜその作家が美術史上重要なのか、それはどのように決まるのか、というシステムの問題だった。美術史の転換というのはどのように行われるのかを研究したい、という未熟な学部生に対して、教授は「あまりにも壮大なテーマなので、もう少し具体的な事例を扱いなさい」ともっともなアドバイスをくださった。結局卒論ではマルセル・デュシャンを扱うことになるのだが、まあ今思えば怖いもの知らずとしか言いようがない。その後、修論では画商アンブロワーズ・ヴォラールを取り上げつつ作家や作品の価値というものについて研究した。そして今はアートフェアの仕事をしながら、アートの経済学について勉強を続けている。

私が興味を持ち続けているものに名前をつけるとしたら、「マクロ美術史学」ともいうべきものかもしれない。作家や作品単体ではなく、それらが受容された環境——コレクター、市場、批評、メディア、キュレーションなど——を含めたアートワールドの総体としてのダイナミズムを知りたいという欲求が、いまだに私の仕事へのモチベーションになっている気がする。そのような美術史の捉え方は、経済学におけるマクロ経済学の立ち位置と似ているのでは、と思い至ったのが最近のこと。もちろんそれらは地域や時代によってさまざまであり、特定の方程式によって一般化できるものではないし、気象学のように未来予測に使えるものでもない。ただ、アートがアートの世界だけで完結していないということをずっと言い続けていたいという気持ちがあり、そのために美術館などに代表されるような美術のための機関ではなく、在野で実践と対話を続けたいと今は考えている。

「ホワイト・ボックス」というのは、ご存知のとおり、デュシャンの思索のメモが入った箱の作品名である。この作品は世界に150部が存在し、現在でも300万円くらい出せば手に入る。私はこのブログが思索の断片の集合となり、いつかこれらが鋳型となって何かの鋳造物の形を取ることになればと夢見て、この名前を借りた。